野口久美のプロフィール

野口久美です。

佐賀育ち。
大学卒業後6年ほど福岡に住んでいましたが、子育てをきっかけに、のんびりした自然と街が共存した佐賀に帰ってきました。

今は、佐賀市大和町に住んでいます。
旦那さんと、長男・長女の4人家族です。

ガーゼや曼荼羅パステルアートを使って、日常にセルフセラピーの時間を作るきっかけ作りをしています。

定期的にセルフセラピーをしていくことで、心と身体が求めるものを感じ、素直に生きることを人生のテーマとしています。

 

ここからは、私の歩んできた道のりです。よかったら、読んでくださいね。

 

佐賀の田舎でのんびり育つ

佐賀生まれ佐賀育ちの両親のもと、1984年に横浜市で生まれました。
姉と弟の3人兄弟の真ん中です。

就園前に佐賀に引っ越してきて、幼稚園〜小学校1年まで、佐賀市神野で過ごしました。
虫をポケットに入れたり、男の子を追いかけ回したり、おてんば娘でした。
おままごとで弟の髪を切ったり…外にもよく立たされていました。
お姉ちゃん、お姉ちゃんといつも寄ってくる1つ下の弟と、優しい姉の間で、のびのび過ごしていました。

 

 

ひとりの時間が好き

小学校2年の時に、両親の出身地である佐賀県の太良町に引っ越します。
月の引力が見える町・太良町。有明海と多良岳に囲まれた自然豊かな町です。

その後もおてんばをやっていたのですが、方言も怖くなかなか馴染めないという壁を感じて、保健室によく通うようになり。姉と弟は、休日もお友達と遊んでいましたが、私は学校以外ではひとりで過ごす日々が続きました。

小さい頃からお絵描きが大好きだったので、徒歩で行ける海に、お絵描き道具を持って行って岩の上で絵を描いたり。
洋裁経験のある母に教えてもらいながら、編み物をしたりポーチやふで箱を作ったりしていたのを覚えています。

お友達と遊ぶよりも、ひとりでいる時間を好むように。
絵を描いている時が素直な自分に戻れました。

 

バレーボールとの出会い

小学校高学年から、バレーボールを始めました。
はじめたきっかけは、学校の先生に声をかけられたこと。
母がバレーをやっていたこともあり、バレー部に入れと毎日のように声をかけられました。

ひとりの時間が好きだったこともあり、最初は抵抗。
けれど、あまりにも毎日声をかけられたので、やってみるかと軽い気持ちで始めました。

毎日ある練習にひとりの時間もだんだん減ってきました。
小学5年から試合に出してもらうようになり、楽しくなってバレーにハマりました。

休みの日も部活一色。
熱があってもバレーをするために学校へ行き、食欲がなくて給食を食べなくても部活だけはしていました。練習試合1日で体重が3キロ減ったこともあります。
とにかくバレー大好きで、大学のサークルまで13年間続けました。

 

再び、ひとりの世界へ。人間不信の始まり

あることをきっかけに、仲のよいと思っていた友達からの無視されるようになり、それは徐々にエスカレート。他の周りの友達からも口を聞いてもらえなくなり、孤立する経験をしました。
昨日まで遊んでいた友達から、わざと聞こえるように悪口を言われたり。そんな経験から、人を信頼できなくなりました。

それから、周りに自分の意思を伝えることができなくなり、完全に自分の殻に閉じこもりました。人とのコミュニケーションを避け、あえて一人でいることを選択。もう誰も信じないと決めて毎日を過ごしていました。

時間が経つにつれて、だんだんと話してくれる人も増えてきたのですが、心の壁が崩れることはなく。

ここで、私のコミュニケーション苦手意識が完成。
会話をする上で大切なのは、”人の正解を口にすること” だと思い込み、常に相手はどう答えて欲しいのかを考えているから言葉が見つからない。この意識は未だに残っているようで、たまに顔を出してきます。

 

心の支えは、バレーボール

学校で誰も話してくれなくなってからも、部活の時だけはみんな普通に話してくれました。

体育館の中はバレー部だけでしたので、いじめの対象と話したら次はターゲットとなるというルールに、体育館の中は縛られることはなく、バレーが心の支えでした。
ルールがあることを知っていたので、みんなが無視したくて無視しているとは思っておらず。相手を嫌いになるということはなかったです。バレーの時間だけが楽しみで学校へ行っていました。

高校進学時、バレー推薦の話もしてもらいましたが、大学へいくために進学高校へ進みました。父から「大学生は楽しいよ〜」ってずっと聞かされていたんですね。そんなに楽しい大学生活やってみたいと、ただ大学生になりたくて。

この選択がさらに私を苦しめました。
成績優秀な姉も通っていた進学高校。3つ違いでしたので、ちょうど姉の学年を持った先生たちが私の学年に降りてこられたわけです。

「西村(旧姓)の妹」。
そう呼ばれて比較され、成績がよくないと「姉ちゃんは〇〇だった」と何度も言われました。だんだん勉強が嫌いになり、好きな科目以外はやる気もなくなり。不思議なもので、比較する先生の科目の成績がどんどん落ちていく。部活をやめろと言われたり、途中からは見捨てられたような対応でした。

高校3年間は、好きな数学と物理以外は悲惨な成績。学校の中では落ちこぼれの生徒。周りの頭の良い子たちに圧倒され、学校が嫌で嫌で仕方なく、保健室に行くことも多くなりました。

そんな中でも、心の支えとなったのはバレーボール。
放課後の時間が楽しくて、バレーをしに学校へ行っていました。

 

諦めずにチャレンジする

3年間、担任には恵まれ、落ちこぼれな私でも長所をみてくれる先生たちでした。
成績が悪くとも、大学生になりたいという想いは変わらず。多くの先生に受験を諦めるよう言われましたが、担任だけはやりたいならチャレンジすることを勧めてくれました。

大学の志望校を出すも、センター試験でE判定。さすがに志望校を変えないかと言われましたが、無理やり受験。二次試験は得意科目のみだったので、ほぼ満点を取ることができ、奇跡的に合格しました。

この経験は私に「どんなに厳しくても、諦めずにやり続けるとできる」ということを教えてくれました。得意科目を伸ばすこと、チャレンジすること、諦めないことを勧めてくれた先生方には感謝しています。

父が言っていた通り、大学生はとても楽しいものでした。
一人暮らしを始め、自由な時間も多く、何にも縛られることなく、自分がやりたいと思うことをやりたい時にやれるということが何よりも楽しかったです。

 

大学生活と人間不信克服の始まり

大学生になり、これまで知っている人はひとりもおらず、私の新しい生活がスタートしました。これまでの私とはさよならして、ワクワクした気持ちでいっぱいでした。

大学でもバレーをすることは決めていましたが、バレー部は強かったので、楽しくやりたくて部活には入らずサークルへ。

初めて練習に参加した時に目に止まった、誰でもすぐに打ち解けて仲良くなる金髪のヤンキーのような人。私にはないコミュニケーション能力がとても素敵でした。優しくおおらかな人で仲良くなり、ご縁があってお付き合いすることに。これが、旦那さんとの出会いでした。

大学生って、みんなバカするんですよね。すごく楽しそうにはっちゃけるんです。けれど、私はそうはできませんでした。
これまで友達と遊ぶということをしてこなかった私にとって、どうやって遊ぶのか、分からなかった。いつも冷静で、テンションをあげることができない。

これまでの私とさよならしたのですが、心の奥深くに刻まれた傷はすぐになくなるものでなく。大学生活でたくさんの人と関わる中で、また不安となって現れました。

「みんなと一緒に楽しくなれない」「私がいることで場の空気を盛りさてているんじゃないか」「私がいたら迷惑だ」「誰も私のことなんか好きじゃない」「私なんかいちゃいけない」「またひとりだ…」
こんな感情がぐるぐるするようになりました。

「本当は旦那さんだって一緒にいたくないんだ」と勝手に自己嫌悪になり、ひとりになるのが怖くて、旦那さんをたくさん困らせました。
これまでの経験上、そうしたら離れていくんです。みんな離れていった。
今思うと、一緒にいちゃいけないという私の勝手な思いが、旦那さんを離そうという現実を創ろうとしていたのかもしれませんね。

けどね。旦那さんは離れていかなかったんです。
ずっとそばにいてくれて、いつも優しく包み込んでくれて。

「ただ変わらず、そこにいるだけ」
それがとても嬉しくて、予想外の出来事で、なんで側にいてくれるんだろうって思って。やっと気付いたんです、私のことを好きでいてくれる人がいるって。

大学2年の春の出来事でした。
それから大学4年間、仲間にも恵まれて、ちょっとずつ心を開けるようになりました。

 

引きこもり生活と産後ノイローゼ

大学卒業後、システム会社にSEとして就職しました。

社会人3年目、6年間付き合った旦那様と結婚。すぐに長男を授かりました。
まだまだSEとして働き続ける予定でしたが、つわりがひどく退職。2010年に長男を出産しました。

帰りはほぼ午前様だった生活から一転、1日家で過ごす日々。旦那さんもSEだったため、子供が起きる前に出社し、子供が寝てから帰宅する毎日でした。

周りにお友達もおらず、家族以外誰とも会わずに引きこもって生活をしていました。ひとりで育児を完璧にしなければならないという思い込みにより、気付いたら「母親失格」と思うようになっていました。

「1日家にいて何してるの?」「暇じゃない?」「まだオムツ履いてるの?」「なんで泣いてるの?」
周りからの何気ない一言が心にグサグサきて、精神的に滅入っていました。

夜、子供が寝ている時に車の中で泣きました。少しでもひとりになりたくて、家を出たくて、気を紛らわすために遅くでも開いている本屋さんに行き、育児書を読み漁りました。私の何が間違ってるの?何がいけないの?って。

もう精神的におかしくなっていました。

 

手作りと販売のきっかけ

何か家で楽しいことをやりたい。そう思った私は、お洋服が大好きだったこともあり、母からミシンをもらい息子のお洋服を作るようになりました。

裁縫をするのなんて高校の家庭科以来。
ボタン付けもやらない私でしたが、子供服をリメイクして作ったり、洋裁の本を見ながら作ったり。楽しくてたまらず、夜も寝ないで作っていました。

手作りは、長女出産と同時に加速。女の子のお洋服作りは、さらに楽しかったです。また、同時期に長男の通園グッズを作ったことで、さらに手作りにハマりました。

子供たちには、市販のお洋服と手作りのお洋服の両方を着せていました。すると、市販のお洋服を着せた時に「背中がかゆい・タグが当たる・縫い目が痛い」などと子供が嫌がるようになりました。

いろいろなものを手作りするようになり、たくさんの生地を触るようになってから、生地によって触り心地が全然違うことに気付きました。

お洋服が着ているだけでストレスになること。
市販のもの・人工素材に慣れてしまって、知らず知らずのうちに受けているストレスに気付いていなかったこと。

肌の敏感な赤ちゃんや子供たちに、使っていてストレスのない優しいものをお届けしたい。そう思ってから半年後の2013年8月に、赤ちゃん用品・子供服のハンドメイドのネットショップをオープンしました。

 

ガーゼの専門店 みりい

2015年までは、ガーゼの出産祝い・ニットのお洋服・通園グッズなど、いろいろなものを作って販売してきました。

たくさんの生地を触るうちに、ガーゼのふんわりとやわらくて優しい肌触りに惹かれ、ガーゼの魅力にはまりました。そして嬉しいことに、みりいがお客様に1番求められていることもガーゼでした。

「市販のものが合わなくて…」「肌が弱くて…」「乳児湿疹が出ていても大丈夫でした 」2年半の作家活動で、そういうお声をたくさんいただきました。

ネットショップを始める時に思った「肌の敏感な赤ちゃんや子供たちに、着ていてストレスのない、優しいものをお届けしたい」という気持ち。これってガーゼがぴったりだと確信し、着ているもの・使っているものにストレスを感じているひとりでも多くの方に。肌が敏感な赤ちゃんやお子さまに、優しいものをお届けするために。

ガーゼの専門店として活動することを決意しました。

毎日の生活の中で、知らず知らず受けているストレスから解放されますように、ふんわり優しい作品と一緒に癒しをお届けしたいと思っています。

 

色彩心理カラーアートセラピーとの出会い

小さい時から大好きだったカラーとお絵描き。昼休みはいつもお絵描きをしていて、外で遊びなさいとよく先生に叱られました。

休みの日も紙と色鉛筆、絵の具の入ったバッグを持って海へお散歩。岩に座って風景を描いていました。

幼稚園の頃の夢だった「お絵描きやさん」。中学校で美術部を作ってと美術の先生にお願いするも、部員が足らずに成立せず。両親にも絵では食べていけないと言われ、早くも夢を諦めてしまいました。

アートへの道を諦めていた私の前に、大人になって何度も現れるカラー。ハンドメイドを始めていたこともあり、気のせいだと思い込むようにしてきましたが、違う形で何度も何度も現れるカラーが気になり。

パーソナルカラーに興味をもち、佐賀でパーソナルカラーの活動をされていた方に会いたくて、開催日が一番近い「色彩心理のワークショップ」に参加した私。選ぶ色、描く絵、描く場所から心理状態がわかるというワークがとても面白かったです。でもその時は、娘が就園前だということを理由にそれっきりでした。

それから約1年半後。
ふと色彩心理のことを思い出して、次こそ学びたいと思い、思い切って足を踏み入れることにしました。短期間で集中的に知識を学んだところで実力はつかないという恩師の言葉に共感し、時間をかけて、まず自分のメンテナンスのために「色彩心理カラーアートセラピー」を受け始めました。

カラーアートセラピーとの出会いが、私の心の中にあるものを変えました。

これまで私が気付かぬうちに感じていた不安や、幼き頃の傷。今まで見て見ぬ振りをしてきた部分がフワ~っと浮き上がってきて、涙がいっぱい溢れてきました。そしてカラーと向き合うことで心が軽くなり、私自身がすごく癒されたんです。同時に、私の心はワクワクとトキメキでいっぱいでした。

学びたいと思って受け始めた講座が、いつの間にか私にとって月1で必ず必要なセルフセラピーの時間となっていることに気付き、私も将来、カラーアートセラピーの場を作る人として活動したいと思うようになりました。

 

曼荼羅パステルアートとの出会い

カラーの持つ力に引き込まれていった私は、一度やってみたいと思っていた曼荼羅パステルアートのワークショップに参加しました。

カラフルに並ぶパステル。真っ白なキャンパスに色をつけながら、自分で作ったモチーフを消していく。その作業は、まさにカラーアートセラピーでした。

ヨガや瞑想と同じ効果もあると言われている曼荼羅だけあり、無心になって集中する作業は、心と頭を洗い流してくれるような、そんな感覚でした。

その日のうちに曼荼羅パステルアートにすっかりはまってしまった私はすぐに、曼荼羅をカラーアートセラピーの一部として取り入れ、たくさんの方に私が味わったセラピー効果を感じて欲しいと思いました。

 

つながるセルフセラピー

ガーゼ、カラーアートセラピー、曼荼羅アート…
すべてを活動にしていく中で「結局私は何がやりたいのか」と疑問に思うようになり、今活動していることは一旦忘れて、私は今世で何をやりたいのかに向き合いました。

私は世の中に、
・常識に縛られずに自由に行動する人
・心に素直に行動する人
・やりたいことを熱く語り、実現に向けて行動する人
・感情に振り回されることなく、感じながら本当の自分に気づくことのできる人
・心が豊かな人
が増えて欲しいなぁと思っています。これは全て、なりたい自分に当てはまることです。

ガーゼ作家と曼荼羅パステルアートインストラクターと同時進行していると、力が分散し、どれも中途半端。どちらかを手放すことも考えました。

けれども、使い心地が最高で優しく包み込むようなガーゼ生地に触れることは私にとって必要な時間だし、作品を使う人の心の癒しにもなるという自信もあります。私がやりたいことを考えたら、カラーアートセラピーのファシリテーターとしての道も、進んでみたい。

どちらかに決められないなら、決められるまで両立しようと決めました。
両立していくうちに、ある共通点があることに気付きました。

忙しい毎日、産後や育児で気が滅入っている時に、ガーゼで癒されて欲しい。
曼荼羅アートやカラーアートセラピーをやることで、日常のイライラや感情に振り回されることなく、穏やかな心に戻せるようになって欲しい。

私のやりたいことは、みんながセルフセラピーできるようになって感情に振り回されることなく心穏やかに、そして感情に蓋をすることなく素直に生きる人を増やすこと。

一見別だと思っていたガーゼと曼荼羅も、セルフセラピーのツールであるということに気付きました。

 

心と身体に素直に生きる

心と身体は切り離せないものだと思っています。
心を整えることと同時に、使うものや食べるものにも意識を向けることが大事。使い心地の悪いものを使っていては心は不快を感じるし、食事が乱れるとイライラしたり、身体がだるくなったり…すると心も滅入ってしまいます。

心と身体の声に耳を澄ませることで、心も喜び、身体も喜び、本来の生き方ができるのでないかと感じています。

日常生活の不快が減っていき、すべてが心地よくありがたく感じることができたとき、人は視野が広くなり、自分だけでなく周りの人や自然にもエネルギーが伝わっていきます。

自分で自分を整える。それがセルフセラピーです。

私自身、定期的にセルフセラピーをしていくことで、心と身体が求めるものを感じ、素直に生きることを人生のテーマとしています。

忙しい毎日でセルフセラピーする余裕なんてない。
そんな方々のきっかけ作りをご提案させていただきます。
私自身もセルフセラピーしながら、一緒に歩んでいけたら嬉しいです。

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