バレー馬鹿の日々と人間不信【マイヒストリー②】

こんばんは。野口久美です。

今日は、マイヒストリー②(中学〜高校まで)を書きますね。

マイヒストリー①はこちら。
▶︎▶︎▶︎活発な子?冷静な子?【マイヒストリー①】

 

私が唯一、みんなと一緒にテンションがあげれるもの。

それが、小学校4年生から始めたバレーボール。

私の人生を変えました。

 

バレー馬鹿の誕生

みんなと一緒に最初からはじめたのではなく、最初は部活なんてするかぁ~!と思っていました。理由は、よく覚えていません。

母がバレーをしていたこともあり、先生からバレー部に入ることを何度も進められ。

「そんなに入ってと言うなら入ろうかな」という、なんとも生意気な姿勢で始めました。

 

ここからは、バレーづくし。

はっきりいって、バレー馬鹿です。

小学校~中学校~高校と部活、大学でサークル。

合計13年間、バレーなしの日々は想像できませんでした。

 

中学校の時には、練習がとても厳しかったです。

夏休みのお休みはお盆の3日間だけ。

冬休みのお休みもお正月の3日間だけ。

いっぱいビンタもされていましたし、1日の練習試合で体重が3キロ減ることも。

 

でも。

高熱があって給食が食べれなくても、バレーをするために授業を耐え、放課後バレーをしていると熱が下がっていました。

バレーが大好きだった。

バレーがあったから、学校に行っていました。

 

鍛えられた精神力

小学5年の時から試合に出してもらい、ずっとセッターやっていました。

でもね~、残念なことに身長が小5でとまったんです。

高かった身長は、みるみるうちに周りに超され…、中学を卒業するころには前から2番目。

バレー部はみんな小さくて、私が2番目に高いという、ちびっこチームでした。

強化合宿の時に、監督がチーム紹介に書いていたチーム特徴。

「サーブで崩し、チャンスをもらい、相手のミスを待つ」

今でも忘れません。笑

 

その代わり、サーブとレシーブの練習時間は半端なかったです。

練習は、相当、厳しかったですよ~。

その分、精神力が鍛えられました。

 

卒部の時に、監督がくれた言葉。

「自らの殻を破り、自分を前に!」

今思うと、私が殻を作っていることが、バレていたんですね〜。

もらってから高校卒業まで、ずっと目の届くところに置いていました。

 

 

人と接することを拒んだ中学時代

中学校の時、お友達関係でいろいろあって、人を信用できなくなりました。

それからわたしの人間不信がひどくなりました。

 

誰もわたしのことなんか必要としていない。

誰も信じない。

友達なんて、いらない。

 

たぶん、こんなに深刻になっていたのは私だけ。

やった方は、覚えていないと思います。

 

今思えば、そこまで深刻にならなくてもよかったなぁって思います。

でもその時は、いっぱいいっぱいでした。

 

それから、人と接することに対し、自分に自分で殻をかぶせていたんです。

わたしはいませんよ~って。

無理に人に合わせて、仲良く振る舞うより、ひとりでいた方が楽だった。

人と絡むことを、極力拒む人生が始まりました。

 

バレーだけが心の救い

高校へ行っても私の人間不信は、続きました。

特に何かされたわけではなく、嫌いなわけでもなく。

 

仲の良い子もいましたが、心のどこかで

また裏切られる。

そう思っていました。

今思えば、考え過ぎだったんですけどね~。

このときは、友達が信じられなかった。

もっと心開いていれば、お友達いっぱいできたかな~なんて思ったりしています。

 

どんな時でもバレーがあった。

バレーがあったから学校に行けた。

バレーの時だけは、みんなと心から仲良くできた。

バレーしていてよかった…

 

わたしが人間不信を克服したのは、大学のとき。

続きは、こちら。
▶︎▶︎▶︎【マイヒストリー③】大学受験の奇跡と人間不信克服へ向けて
 
 

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